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手の外科

手根管症候群

「手根管症候群」は手に生じる慢性疾患の中で最も多い疾患の一つです。

「手根管」は手首にある、文字通り「管(=くだ)」であり、道路わきにあるようなU字溝のような構造物内を9本の腱(=すじ)と一本の神経が通過します。

(日本手外科学会 手外科シリーズ1 手根管症候群より引用)

U字溝にふたをするよう覆っているのが「横手根靭帯」です。この横手根靭帯が年齢による変化で厚みを増しかつしなやかさを失うと、U字溝の中の神経が圧迫されます。

この神経を「正中神経」といい、親指・人差し指・中指および薬指の中指側半分に分布するためこの部分に一致してしびれ感を生じます。このとき「薬指の中指側がしびれているが小指側はしびれていない」という所見は非常に重要で、この所見を見落とすと手根管症候群の診断に到達することができません。

特に高齢者は「手が全部しびれている」と訴えますが、よくよく尋ねると小指と薬指の半分がしびれていないことが多々あります。

(日本手外科学会 手外科シリーズ1 手根管症候群より引用)

 手根管症候群のもう一つの症状に「親指の付け根がやせている」というものがあります。前述の「正中神経」は前述の領域の感覚を司るだけではなく、親指の付け根の筋肉(=「母指球」といいます)を動かす役割も併せ持っています。

母指球筋の役割は親指の屈伸ではなくて、親指をそれ以外の四本の指と向き合わせる動きです(注)。ですからこの筋肉がやせると、口の広いコップを掴んだりカフスボタンを留められなくなったり、日常生活で非常に不便を感じることになります。

紙面の都合上ここでは申しませんが、母指球筋の萎縮を診察するにはコツがあります。

 以上が手根管症候群の典型的症状ですが、特殊な訴えの向こうに手根管症候群が隠れていることがあります。19年の間に九州労災病院(小倉南区)で経験した二つの特殊な症状を提示します。

 一つ目の症例(40代 女性)

この女性の訴えは夜間に自動車のキーを差し込んでエンジンを始動できない、昼間は支障ない、というものでした。そんな奇妙奇天烈な病態があり得るのか、と理解に苦しみました。

では夜間は自動車に乗らないのか、と尋ねてみました。すると、夜間は運転席に座って前かがみになって街灯や月明りなどを利用してハンドルの向こう側にあるキーの差込口の位置を目視するとキーを差し込むことができてエンジンを始動できる、とのお答えでした。

つまり目視しないと自分の右手の指先の位置がわからない、ましてや右手で摘まんだキーの先端の位置などわかりようがない。右手の指先の感覚がないのではないかと直感しました。

 誰でも両手の人差し指を立てて、左右からゆっくりと近づけて左右の指の先端を目を閉じたままくっつけることできます。すなわち、両手の指先に感覚があるのでこのようなことが可能となります。逆にどちらか一方の指先の感覚が消失するとこのようなことは不可能となります。

指先の感覚がなければ両方の指先の位置を目視で確認しながら行う必要があります。

 この女性の薬指の感覚を尋ねてみると、前述のように「薬指の中指側がしびれているが小指側はしびれていない」というお答えしたので、一気に手根管症候群の診断に至りました。

 二つ目の症例(80代 男性)

「両手の指を完全に曲げられない」という訴えでした。一般には指をまげてこぶしを作ると指先は手のひらに完全に接しますが、この方の場合指先は手のひらに全くくっつきません。

握力を計測してみると著名な低下を認めます。かかりつけの内科では「年のせい」と婉曲に説明を受けた、とのことでした。

指はしびれているか、またどの指がしびれているかあるいは五本ともしびれているのかを尋ねましたが、「わからない」と。正確には、高齢者にはよくあることですが、本人でさえも「しびれているのかしびれてないのか、それ自体わからない」ということでした。(難聴や軽度の認知症もあって、なかなか質問が伝わらない、という側面もあります。)

 前述のように手根管内には9本の腱が通過します。腱はその周囲にある「腱滑膜」という薄いゼリーのような組織によって囲まれています。この腱滑膜が何らかの理由によって腫れると腱自体の動きが制限されて、結果指の動きが悪くなっているのではという予想を立てました。

一旦手根管内にステロイド注射を行って、腱滑膜の炎症を緩和する作戦を取り、一週間後に再来いただきました。すると、予想通り指をほぼ完全に曲げることができるようになっていました。

めでたしめでたし、とはなりましたが、ここで初めて「手がしびれる」という訴えを耳にしました(例によって5本全部)。患者さんは指が曲がらないということばかりに注目して、しびれ感に気づかなかったのです。付き添いの家族の協力を得ながら、例によって「薬指の中指側がしびれていて小指側がしびれていない」という訴えをかろうじて聞き取ることができました。(付き添いの長女さんが「お父さん、どうなん?」と何回も耳元で尋ね、ようやく「ああ、そりゃぁしびれとるよぉ」「そっちはしびれとらん」というやりとりを想像してみてください!)

腱滑膜が腫大して手根管内の正中神経を圧迫していたのです。一旦ステロイド注射して一週間後に再評価という二段構えでようやく手根管症候群の診断に到達に到達しました。

後日手術を行うと、案の定、横手根靭帯がぶ厚くなっていることは当然ながら、前述の腱滑膜が著明に腫れていて、濃い「アオバナ」のように9本の腱に付着していたので、これを丁寧に取り除きました(=腱滑膜切除術を同時に施行)。

代表的手術例
(日本手外科学会 手外科シリーズ1 手根管症候群より引用)

 この2症例のように、手根管症候群の典型的な症状以外の訴えに隠れて、手根管症候群に気づかないこと多々あります。特に2例目のように高齢の患者さんにはよくあることです。

ですから、ぜひとも手の疾患の場合、手の外科専門医の診察を受けることをお勧めいたします。

:この動きのことを「対立」といいます。鉄棒やラケットを掴むとき親指は他の指とは反対の方向から対象物を掴みます。母指を対立させる母指球の発達は樹上生活を営む霊長類の特徴とされ、他の哺乳類には見られません。

ネットで「ゴリラの手のひら」を検索すると、まあ驚くこと!ヒトの手の平にそっくりで、立派に発達した母指球が見て取れます。前述のように重症の手根管症候群では母指球が委縮します。この状態を整形外科では、なぜか、「サル手」と呼びます。不可思議ですね!なぜならサル(=霊長類)の特徴は母指球が有ることで無いことではないからです。

なぜ、手根管症候群によって母指球が委縮した状態を「サル手」と呼ぶのか?そもそもサルに失礼です。片手ではモノを掴めない「ネコ手」などにしたらどうでしょうか。私にとってはずっと約30年間余り理解不能です。どなたかご教授いただけたら幸いです。

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